褒める資格 Vol.2108
何かができるようになれば、誰でもうれしい。
けれど、いつの間にかそれができるようになった人と、そのために努力してできるようになった人との間には、埋められない大きな差がある。
それが「努力」だ。
努力は誰でも基本的には苦しい。
できないことに取り組むのだから、それは当たり前だ。
けれどその先に楽しみ、喜びがあることをその人は知っている。
だから、苦しいことも続けることができる。
ところが、努力と成果の因果関係を知らない人は、そんなことはわからない。
だから、苦しい努力などするわけがない。
しんどければしんどいほど、成果へのステップは大きくなる。
そして賢い人は、努力の苦しみを抑えるために、努力を楽しむためのコツをつかんでいく。
それが目標だ。
それは小さい頃からの積み重ねが最も大事だけれど、大人になってからでも遅いことはない。
その人が、どれだけ真剣に自分の人生に向き合うつもりがあるかないか。
真剣に向き合う気持ちが強ければ、いつからでも努力できるようになれる。
もちろんひとそれぞれの人生なのだから、努力などしなくても、面白おかしく生きていければそれでいいというのも選択の一つだから否定はしない。
けれど少なくとも僕は、そういう人とは、遊んでも、仕事をしても、話をしても、何をしても何の面白みも感じない。
だからそういう人の周りに集まる人は、所詮はそういう人たちばかりになる。
そうして、何も考えず、何かあればすべて周りのせいにして文句ばかりをいう人生になる。
そうして、そういう人が少しずつ増えてきているのが今の世の中なのだろうと思う。
それは、「褒めて伸ばす」という甘ったれた教育観にある。
どうでもいいことを褒めて何になる?
褒めるのは、苦しい努力をした結果に対してだけだ。
脳みそを使わずに何でもバカのように褒めるから、努力をしない人間が増えていくことになる。
叱るより、怒るより、褒めることは難しい。
叱ることも、怒ることもできない人間に褒めることなどできるわけがない。
簡単に人を褒めるな。
簡単に自分を褒めるな。
そもそも、人を褒めるというのは、自分に厳しい人でなければならない。
自分に厳しい人が真に褒めるときというのは、その人が定めた目標をクリアしたときであり、それ以外で褒めることはない。褒める価値はない。
自分に甘い人間が他人を褒めたところで、そんなものは褒める側にも、褒められる側にも何の価値もないどころか、無責任と怠惰を助長することにしかならない。
価値なく褒められてふやけた人間には、芯などできない。
努力もない。
褒めるには資格がいる。
それがない人間が、簡単に人を褒めてはいけない。