頑固おやじで何が悪い!?

思ったことを思ったとおりに書いています。ただし、発言には責任を持っています。ここで書いているのは僕の意見なので、異見をいただくことはかまいませんが、ここで議論をするつもりはありません。自分の軸や方向性を見失わない場として書いています。

残業が悪なのではない 2016.12.23

社会人になってこれほどイメージが変わったものはない。


なったばかりの頃は、「新人は残業するな」だった。
これは、新人ごときが残業をするだけの仕事はない、というものもあったと思う。
残業をするようになって、何となく一人前になったような気になったのを覚えている。
「最近、残業が多くてさ」というのは、どちらかといえば少し自慢だったようにも思う。
残業時間中の先輩とのやり取りや、どうでもいいような話も、あの頃は大切なコミュニケーションの一つであり、社会勉強の一つにもなっていた。
けれど、残業をした人のほうがしない人よりも評価が高いかというと必ずしもそうではなく、残業しなくとも成果を出すやつの方が、残業をして出さないやつよりも当然に高かった。
ただし、かわいがられるかどうかというと、残業をしている人間の方が可愛がられる傾向にはあったと思う。
それはおそらくコミュニケーションの深さの違いだったのだろう。


対して今は、残業は悪だと言われてしまう。


それは欧米式の働き方と評価方法が残業という行為とマッチしないためだろう。
そこには、個人で上げた成果の積み上げを組織の成果とする欧米式と、チームとして上げた成果の積み上げをチームの成果とする。
個人に与えられた目標を個人で達成するのだから、残業をするしないはそもそも関係ない。
純粋に成果だけを評価する。
けれどチームとしての目標になるとそうはいかない。


誰かがやっていればほかの誰かもそれをサポートしなければいけない。一人だけ遊んでいることは許されない。
だから欧米の責任は個人にあり、日本の責任はチームにあった。


その根本が、実は変わっていないにもかかわらず、形だけ欧米式を取り入れたのが今の日本の社会なのだと思う。
根本を理解し、根本から変えることなしに、形式だけ取り入れたところでうまくいくことなど決してない。
だから、様々なところにひずみが生じている。


完全な個人主義であり、個人成績のみを是とするのであれば、残業を悪だの、なんだのという必要さえない。
それは個人の勝手だからだ。
けれど、似非個人主義の日本ではそうはいかない。
だから残業が強要され、しかも残業代を支払うことをしないなどという行為が横行する。


そもそも残業というのは、昔も強制されてやっていたわけではない。
少なくとも僕のいたところでは、しんどかったけど楽しかったし、言われて残業したのではなく、自ら残業を買って出ていたことも少なくない。
数字がいかない人ほど残業が多かったが、それはアリバイ作りのためというよりも、貢献できていない後ろめたさがそうさせていたように思っている。


残業などしなくても、ちゃんと定時に帰れ、目標も達成できるというのがもちろん一番いいに決まっている。
けれど、やらざるを得ないときはやらなければいけない。
そしてそれを決めるのは自分自身でなければいけない。


残業が悪なのではない。
それを無理強いする人間が悪であり、やることが不可能なことを強いるのが悪であり、強いたことに対して対価を払わないのが悪なのだ。
それと、やらなければならないことをやらない人間もまた悪だ。


一面的な見方だけでそれを悪と決めつけるのは、愚か者の思考に相違ない。