どんな時代が待っていようと 2017.02.11
四の五の言わずにやるのも、やらないのも、
我慢して続けるのも、続けないのも、
その先の結果をどのように想像しているかにかかっている。
やってもやらなくても、
我慢してもしなくても、
どちらにしても大した差がないのなら、誰だって楽な方を選ぶ。
その差の積み重ねがやがて大きな差となって取り返しがつかないと思うなら、その場の小差ではなく、その先の大差を想像するはずだ。
その先に大差がないと思うから、楽な方ばかりを選ぶようになる。
そしてもう一つ。
先が見えない場合にも、楽な方を選ぶようになる。
やった結果が何につながるのかわからない。
今努力していることが、数年後に無駄になっている可能性だって十分にある。
そう思ったら、何もしない方が楽だと考えてしまうようになる。
今の時代は難しい。
若者から見た必死の結果が今の僕らの姿であり、今のこの国だ。
人口は減少し、雇用の保証はなくなり、AIがもたらす経験したことのない未来もすぐそこに来ている。
けれど確かなことは、
やらなければ何も始まらないということ。
我慢しなければその先は、見えないということ。
見えにくい時代だからこそ、これまで以上にそれが大切になる。
何もしない人間と、何かをする人間。
2つにわかれるとしたら、どちらがいいか?
どちらを選ぼうが勝手だが、未来を創るのは間違いなく、何かをする人間だ。
何もしないことを選んだ奴は、もたらされた未来を甘受する義務がある。
人の歩いた後を歩きたくないなら、どんな時代でも、自分で歩かなければいけない。
だから、どんな時代が待っていようといつも同じこと。
目の前のやるべきことからやっていく。
おそらく、それだけが普遍的な正解だ。