頑固おやじで何が悪い!?

思ったことを思ったとおりに書いています。ただし、発言には責任を持っています。ここで書いているのは僕の意見なので、異見をいただくことはかまいませんが、ここで議論をするつもりはありません。自分の軸や方向性を見失わない場として書いています。

情報は大本営発表になりやすい 2016.09.04

TwitterFacebookInstagram、LinkedIn、google+と様々なSNSがあり、多くの人がそのどれかであったり複数であったりを利用している。
そこから提供される情報を元に、さまざまな評価や判断をする時代になっている。確かに簡単に、ほしい情報、知りたい情報を好きな時に入手できる時代はとても便利だ。


けれど、そうやって得ている情報にはすべて自分目線=主観というバイアスがかかっている。ほしいと思う情報、知りたいと思う情報には、「こうだったらいい」「こういうことのはずだ」というバイアスがかかっている。
だから、それは物事の一面でしかない。
かと言って、ただ受動的に入ってくる情報には何のバイアスもないかといえば、そこにも発信者が伝えたいという意思が入っており、完全に客観的な情報はほとんどない。そもそも、それを知らせようとしている時点で、すでにバイアスがかかっている。


バイアスがかかっている限り、それは、ある角度から見れば嘘にもなりかねない。


簡単に情報を入手できる時代だからこそ、同じ物事に対する複数の視点を持つことがより重要になる。
違う見方があるのだということを常に頭において、得た情報を料理することが必要だ。情報には誤りも嘘も交じっているということを覚えておくことが必要だ。
そして、自分の意見を持つことが大切だ。自分の考えを言える姿勢を持ち続けることが大切だ。


情報を疑わない、あるいは疑ってもそれを表明しない、情報を否定する者は社会的に排除される。
そういうものが大本営発表と第二次大戦の継続、さらには原爆の投下という結果をもたらした。国民数百万人という、未曽有の大虐殺ともいえる戦争を引き起こした。
そのころの日本を僕は知らないが、今の日本に蔓延る情報は、そのほとんどが一面的な見方であり、それを疑うことなく信じている人が多いのを目にすると、あの頃に近づいているような気持ち悪さを感じる。


自分の目で見たものを信じる。それ以外は、そういう見方もあるのだ程度にとどめておく。
それを多数の人が忘れたとき、きっとまたああいう愚が繰り返されてしまうことになる。


テレビや、新聞、政府発表などは、大本営発表と同じくらいに考えていてちょうどいい。