頑固おやじで何が悪い!?

思ったことを思ったとおりに書いています。ただし、発言には責任を持っています。ここで書いているのは僕の意見なので、異見をいただくことはかまいませんが、ここで議論をするつもりはありません。自分の軸や方向性を見失わない場として書いています。

あたりまえは大事〜日本人が年齢を聞く理由〜(2013.1.6)

先日、NHKだったかの番組の中で、日本人が初対面の人の年齢を聞くことは理解しがたいという外国人の話を紹介していました。


年齢によって、言葉遣いが違うとか、年齢によって話す話題がわかるといった話を日本人として紹介していましたが、外国人は、「年齢と優秀さは相関しない」「年齢で能力を測るのは・・・」というような意見が出ていました。


けれど日本人の年齢に対する意識は、そもそもが優秀さとか、能力があるとかいうことではなく、「敬愛」なのだとおもいます。


年長者にもダメな人はいます。できない人がいます。不愉快な人がいます。すごい人がいます。楽しい人がいます。優しい人がいます。その人たちすべてに共通しているものとして、その年まで重ねてきた歳月というものがあります。


日本人はもともと、そういうものを敬い、愛しいものとしてきたのだと僕は思っています。それは「敬語」という、日本で進化してきた言語文化がもたらしたものなのか、そういう意識が敬語という言語を作ってきたのかはわかりませんが、「年寄りの知恵」といって大切に継承し、進化させてきた結果が、今の日本の源だったのだと思います。


少子高齢化と敬愛の精神の低下が相まって、今の社会の停滞が始まった。そう思います。


まあ、この年の僕が行っても若い人には説得力はないとは思いますが、残念ながら僕は若いころにはまだそんなことは思いもしませんでした。人間、重ねていくとわかるようになっていくものも意外と多いものだとつくづく思う今日、この頃です。


あたりまえに言われていることですが、若い人は年長者を敬う。年長者は、若い人に委ねる。そういう意識をもった社会になれば、いろんなものがうまくいくようになるのだろうと思います。