いまこそ、自分の目、自分の意見を疑うときだと思う(2012.09.05)
よくわかりませんが、解散総選挙が近いそうです。領土問題も、尖閣諸島、竹島、北方領土と、立て続けに騒がれ続けており、センセーショナルな報道だけを集めると、明日にでも戦争が起きそうな雰囲気です。
幼児犯罪や近親者殺害も後を絶たないようです。
日本の家電産業はどうしようもないそうで、このままではどえらいことになるようです。
けれど、これらはすべて伝聞です。だから、「○○しそうです」、「○○のようです」と書きました。
いろいろなことが起きていることはまぎれもない事実です。
けれど、その事実がどういう意味なのか、その事実がどのような結論になるのかに関する論評は、必ずしも事実を表しているものではありません。
にもかかわらず、人は(特に日本人に多くみられると私は思っているのですが)、新聞で読んだこと、テレビで見たこと、テレビやラジオで聞いたことを、意識せずに、自分の意見であるかのように錯覚しがちです。
今は、いろいろなことが変化するとき。変化しなければならない時なのだと、僕は思っています。
だからこそなおさら、改めて自分の目で見たと思っているもの、自分の意見であると思っているものを疑わなければいけないと思います。
これまでにも何度も書いてきましたが、報道されていることは事実の1断片にすぎません。中には事実ですらないものもあるくらいです。
自分の「ほんとう」を見つけた人が、一歩も二歩も先に行ける。与えられたフェイクの「ほんとう」しか見ていない人は、前に進むどころか、後退していく。そういう時なのだと思います。
疑うこと。疑問を持つこと。盲目的に信じないこと。天邪鬼になれというわけではありませんが、忘れずにいたいと思います。