頑固おやじで何が悪い!?

思ったことを思ったとおりに書いています。ただし、発言には責任を持っています。ここで書いているのは僕の意見なので、異見をいただくことはかまいませんが、ここで議論をするつもりはありません。自分の軸や方向性を見失わない場として書いています。

「教わる」。

他人に何かを教えることはとても難しいものです。
さまざまな人がいる中で、それぞれにあった教え方が重要だといわれますが、それぞれにあった教え方とはそもそもどういうものなのかもよくわかりません。
結局、どのように相手の心に届かせるかということなので、マニュアルなどをいくら読んでみたところで、その通りになることなどめったにない。
試行錯誤を繰り返しながら進んでいくいわば「道」なのだと思います。

これに対し「教わる」側に言われるのは、「素直に聞くこと」だというのもよく言われる言葉です。
確かに「教わる」際に、素直に聞くことは非常に有効なことであり、何かを身に着けるためには、最も早い手段の一つであろうと思います。
プロのスポーツ選手も、いかに素直に人の話を聞くことができるかが重要だとはよく言われていることで、一流と言われている人ほど、とても素直だともいわれています。

実はここでいう「素直」という言葉には、大きく二つの意味を含んでいます。
一つは、何の偏見も先入観も持たずに、相手の意見を聞くということ、もう一つは、そこで聞いたことを盲目的に実践してみるということです。

初めの行為には、「有用な情報の入手を妨げない」という意味があります。
「この人はどこの馬の骨ともわからない」とか、「自分のやっていることがすべて正しい」と思っていると、もしかしたら未来の自分に、または、今の自分が変わるために非常に重要な情報やメッセージを聞き逃したり、曲解してしまうかも知れません。
また、「この人は権威だから」とか、「有名人の知り合いが多いから」などという理由で情報やメッセージを受け取ると、明らかにおかしいことでも正しく見えてしまうことも多々あります。
「何の偏見も先入観も持たずに、相手の意見を聞くということ」には、こういったバイアスを外し、純粋な情報を受け取るために必要なものです。

けれど、単純にこれだけをすればいいということではありません。
聞いているだけでは何もならず、聞いたことを確認したり、実践することが必要です。
これが盲目的に実践するということであり、とにかく信じてそれを実施してみるということです。
自分が何かを身に着けようと思ったら、それができていると自分が思える人の話を良く聞き、とにかくそれを信じて実践してみる。

この行為はある意味、素直と真逆の頑固に類するものだと思います。他から何と言われようが、それを貫き通す頑固さを持つということです。
疑うのは、実際にそれを実践してみて効果がなかった時にすれば良い。僕はそう思います。

「疑っているのではない。単に自分は、自分自身で納得しなければ進めない性格なんだ。」と言っている人は、そのことに関し特殊な才能を持つ人を除いては、おそらく上達は極めて遅くなるでしょう。
それは、自分自身が納得することが、自分自身の目的を達成するよりも重要だと思っているということだからです。

「素直に聞けない」時には、もしかしたら、その情報自体に、その人の興味はないのかもしれません。「自分自身で納得しながら」という人は、教わっている内容が、自分の目的とあっていないのかもしれません。

時間は有限であり、どこで止まるかは誰にもわからないものです。
自分にとってそもそも無駄であれば、何も教わる必要はありません。

「教わる」という時間には、「教える」という時間も含まれているのだということも考え、「素直に聞く」という行為を改めて考えてみたいと思いました。